日々の昭和館 (4)  通信空手バカ一代

「アルバイト募集中
この張り紙は、昭和館地下劇場入口の左上の壁に貼られていた。
風雨にさらされ、色はすっかり変色してボロボロになってもそのまま貼られていた。
バイトの募集なんざしちゃいないときでも、一年中放置され続け、貼りっぱなしになっていた。
S君はその張り紙を見て昭和館にやってきた。

 

僕の昭和館での後輩第1号であるS君は、僕が入社した一週間ほど後に地下劇場のバイトとして入社してきた。

僕よりも5〜6歳年上のS君は、当時22歳くらい。色白で痩せ型でちょっとナヨッとした風貌の持ち主で、S君と言うよりはどちらかと言えばM君みたいな雰 囲気の人物である。

しかしそんな見た目とは裏腹に、このS君の将来の夢は警察官になることであり、その夢を実現するために上京し、昭和館でのバイト中も参 考書片手に警察官採用試験の受験勉強をし続けていた。

だがその参考書はアニメキャラみたいな落書きで埋め尽くされていて、ご丁寧にパラパラまんがまで描 かれている。どこまで本気で受験勉強に取り組んでいるのかよく分からなかったのだが、本人はいたって真剣そのものである。

警官になりたいのなら別に東京 じゃなくても、地元で駐在にでもなればいいじゃん、と思ったのだが、S君はあくまでも「警視庁」にこだわり続けていた。たぶん石原プロのテレビドラマの見過 ぎだったのではないかと思われる。


S君はあまり人付き合いの良い方ではなく、米子ちゃんにさえ心を開かなかったくらいなのだが、なぜか僕にはよく懐いてくれて、「テツく~ん、テツく~ん」と言いながら、年下の僕のまわりをついてまわった。
「テツくん、それってすごいらー」
なぜか語尾に「らー」を付けて話す素人童貞のS君は、僕の話すエロ体験談を聞くのが大好きで、いつも股間をMAXに膨らませながら夢中になって話に聞き入っていた。
「それでさあ、その女子大生とやっちゃってさあ」
「うわ~、テツくんズルイらー」
「しかもその女子大生、女優の●●にソックリでさあ」
「うわ~、テツくん、それすごいらー。うらやましいらー」
「そのうえヤリマンかと思ったら処女だったんでビックリしちゃったよ」
「うわ~、許せないらー。それって犯罪らー」
かなり大幅に脚色され、限りなくフィクションに近い僕のエロ体験談ではあるが、S君はガマン汁でパンツを濡らしながら興奮しまくっていた。まるで不良中学 生の先輩と後輩の会話みたいだが、あくまでもS君の方が僕よりも年上である。

そんなバカなことばかりしていたためか、S君は毎年のように警察官の採用試験 に落ちまくっていた。

 

何年も連続で警察官採用試験に落ち続けたS君は、その原因は己の貧弱な体にあると考え、肉体改造をすべく独自のトレーニングを開始した。

トレーニングといっても、「階段を二段飛びで登る」とか「アパートまで走って帰る」といった、かなりショボいものなのだが・・・。
しかし、当然のごとくそれでは飽き足らなくなったS君は、更なるレベルアップを目指し、空手を習うことを決意した。それも「通信教育」でだ。
実を言うと僕は格闘技をやる人間があまり好きではない。はっきり言えば嫌いである。いや、正確には格闘技や格闘家そのものは嫌いではない。僕が嫌うのは 「自分を強く見せかけるために」とか「とりあえずケンカに強くなるために」格闘技をやる浅はかなシロート連中のことである。S君がそんな連中の仲間入りを してしまうかと思うと僕はちょっぴり不安だった。
だがしかし、通信教育である。

通信教育で空手っていったいどうやってやるんだ ?
S君によると、道場から郵送されてきたテキストを見ながら、空手の「型」やら「突き」やら「蹴り」などの動作を行い、それを写真に撮って送る。すると道場 から合格のハンコの押されたカードが送り返されてきて、そのハンコがたまると「キミは三級」とか「キミは初段」とかって認定されるらしい。なんじゃそりゃ あああああっ !
しかしS君は真剣そのもの。日夜稽古 (つーか単なる自主トレ) に励み、地下劇場のテケツの裏でもよくチョップの練習とかしていた。
「テツくん、昨日変な奴にカラまれちゃったらー。でも僕が空手の構えをしたら、『うっ、お前空手やってるな』って言って逃げちゃったらー」
どこまで本当の話なのかは分からないが、空手を始めてからS君はどんどん自分に自信を持つようになっていった。だが、その自信とは裏腹に警察官採用試験には落ち続けていたのだが・・・。

 

ある日、上機嫌のS君から、
「テツくん、今日僕のウチに遊びにくるらー」
と、お誘いの電話があり、僕は渋谷区にあるS君のアパートを訪ねた。
初めて行ったS君の部屋は実に綺麗に整理整頓されていてゴミひとつ落ちていない。

僕がおもむろにタバコに火を点けると、
「ダっ、ダメだらー ! タバコ吸うときはベランダで吸ってくれなきゃ困るらー」
と言いながら、室内を漂うタバコの煙を神経質そうにバタバタと扇ぎ始めた。

ったく、人を招いておいて何なんだよコイツは。


「今日はテツくんにぜひ見せたいものがあるらー」
S君は押入れの奥から段ボール箱を引っ張り出すと、中から有名なマンガの初版本やら漫画家のサイン色紙やらサイン本やら、どう考えても僕にとっては興味の対象外のお宝の山を陳列し始めた。
「ほら見て、これスゴいらー。永井豪先生の直筆色紙らー♡」
ハレンチ学園しか知らない僕には、その感動がもうひとつ分からない。
「シレーヌ・・・って書いてあるけど、何これ ? 」
「てっ、テツくん、信じられないらー ! 永井豪のファンでシレーヌ知らないなんてモグリらー」
だからファンじゃねえって言ってんだろっ !


自慢のお宝が不発に終わったS君が、次に出してきたのは一冊のノートである。
「実は僕、警察官を目指す前は映画監督を目指していたらー。これはそのころに書いた企画書らー」
ノートには1ページごとに一作品ずつ詳細な作品解説が書かれていた。

凝ったデザインのタイトルとアニメチックな絵も描かれ、ごていねいに惹句まで書かれて いる。

さらによく見ると、どの作品も監督・脚本・主演のクレジットはS君自身だ。

思わずプププッと吹きだしてしまいそうになったのだが、S君の目があまり にも真剣だったので死ぬ気で堪えた。


その後も幼少時のアルバムや、突っ込みどころ満載のS君監督・主演の8ミリ映画などをインターバルなしで機関銃のように次から次へと見せられたのだが、その時の僕の気持ちを表すならば、ただ一言、「帰りたい・・・」であった。

S君はどこまでも上機嫌だった。


しかし、時計の針が4時をさすとにわかにS君の表情が変り、なぜかおもむろに着ている服を脱ぎ始めた。
「お、おいっ、何やってんだよS君 ! 」
「いや~、4時になってしまったらー。4時はトレーニングする時間って決まっているらー」
白のブリーフ一枚になった半裸のS君は、僕のことなどお構いなしで腕立て伏せや腹筋背筋を延々とやり続けた。
仕方がないので僕はまたS君の映画企画ノートに目をやる。プププッ・・・ダメだっ、どうしても笑ってしまうっ。


30分ほどしてようやく筋トレも終わり、ひと安心したのもつかの間、今度は5時になるや、
「まずい ! もう5時になってしまったらー。テツくん、僕と一緒に出るらー」
「何だよ、なんか約束でもあんのかよ」
「違うらー、彼女が帰る時間なんで見送りに行くらー」
「彼女 ? S君、彼女なんていたの ? 」
「別に付き合っているわけではないらー。実はまだ喋ったこともないらー。●●デパートの●●売り場の子なんだけど、とにかくかわいいらー。その子が5時半ごろ●●線に乗って帰るから、毎日同じホームに立って見送っているらー」
「なんで帰る時間や乗る電車なんか知ってるんだよ」
「気になったんでデパートの前で張り込んでみたんだらー。それで彼女のあとをついて行ってみたんだらー。そしたら●●線を使っていることが判明したらー。そのまま尾行を続けて自宅の場所もどこか分かったらー」
背筋にひんやりとしたものが走った。

まだストーカーなどという言葉が流行るずっと前のことである。

見てはならないS君の闇の部分を見てしまったような気が した。

本人は意外とあっけらかんとしているのだが、それでも僕は不安だった。

張り込みだの尾行だのと刑事ドラマの真似事なんかしやがって、あげくがこのザ マかよ・・・。


僕とS君はアパートを出て新宿へと向った。新宿駅の●●線ホームに着くとS君は階段の陰に隠れて「彼女」がやって来るのをじっと待った。
「もうじき来る時間らー」
「なあ、喋ったこともない女を見送って何が楽しいんだよ」
「僕はこうして見つめているだけで幸せらー」
「ちっ・・・」
僕はその場にいるのがイヤになり、
「あんまりヘンな真似すんなよ。お巡りになれなくなるぞ」
と言って、S君を残し、一人で昭和館に戻っていった。

 

その後、ハンパなストーカー行為では物事が進展しないと悟ったS君は、一大決心をして「彼女」を映画デートに誘うことを決意した。
映画のペア券も買い、あとはデートの申し込みをするだけだ。
しかし、女性に対しては極端なオクテで引っ込み思案だったS君は、売り場の「彼女」の側を挙動不審にウロウロしただけで、結局デートの誘いはおろか話をすることすら出来なかった。何もせぬままの玉砕である。

己の無力さにガックリうなだれたS君は、僕に映画のペア券を渡し、
「もう彼女のことは諦めるらー・・・。このチケットはテツくんにあげるらー」
と悲しそうにつぶやいた。
ケチのついたペア券ではあるが、使わないのも勿体ないので、僕はそのチケットを使ってブスと一緒に映画を観に行った。その映画はラブコメだった。

 

そしてある日、失恋と採用試験連続不合格で絶望感にさいなまれ、イライラをつのらせたS君が、通信空手家の本領を発揮してしまう事件が起きた。
地下劇場の常連で、ちょっと酒グセの悪いオカマがいたのだが、外出券を持たずに再入場しようとしたそのオカマと口論になったS君は、激しい掴み合いの末、 そのオカマをボコボコにKOしてしまったのだ。

昭和館と違って地下劇場では滅多に大きなトラブルはない。揉め事に慣れていなかったS君は加減が分からず、 自分をコントロールすることも出来なかった。

血まみれにされたオカマは交番に訴え出て、警官を連れて地下劇場に戻ってきた。

先に手を出したのはオカマの方 だったらしいのだが、そんなS君の言い訳に警官は一切耳をかたむけない。過剰防衛とやらで、そのままS君は新宿警察にしょっぴかれて行ってしまった。
結局、示談が成立し、その夜のうちにS君は釈放されたのだが、警察官を目指す自分が警察のやっかいになってしまったことで、S君の落ち込み方はハンパなものではなかった。
「これが記録として残ったら、もう警察官にはなれないらー・・・」
S君は以前にも増して内にこもるようになり、他の従業員ともほとんど喋らなくなってしまった。

 

それからしばらくして、S君は警察官になる夢を諦め、昭和館を去っていった。

その後の消息は全く不明である。


あれからS君はどうしているのだろうか。
「アルバイト募集中」の張り紙は、いつの間にか風で飛ばされて無くなっていた。