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ローリング・ストーンズになれなかった男

転がり続けるおじさま達からのメッセージ ↓

「悲惨で大変な時、私達、ローリング・ストーンズは日本の沢山の友達、ファンに心から同情しています。 命を落とす事や破壊されているところを見るのは心が痛みます。 しかし、日本人の強い意志と団結力がこの悲惨な状況に打ち勝つことになるようお祈りしています。」

"The Rolling Stones send their heartfelt sympathies to their friends and fans in Japan who are going through such tragic and very difficult times. It's heartbreaking to see the loss of life and devastation, but we know their strong resolve and togetherness will pull them through.''



キース・リチャーズオフィシャルサイトでチャリティーTシャツの販売をしたりしてまして、まあこの人たちはなんだかんだ日本でかなり稼いだと思うので、こんなとき少しでも還元していただけるのは助かるしありがたい。
メッセージやTシャツの売り上げが、ちゃんと被災地に届くことを祈るばかりです。

でもって、我が国のロックンローラーはどうかといいますと、やはりがんばってます、内田裕也さん。
こういうときはホント動くの早いし、とにかくオラオラと張り切りまくってくれます。
マスコミ的には相変わらず 「アブないおじさん」 「狂人」 「珍獣」 といった、不当な扱い方をされている裕也さんですが、俺は、この人はもっと尊敬されてもいいんじゃないかなー、と、チョッピリ思っています。


さて、ぼちぼちデビュー50周年を迎えるストーンズですが、そもそもはピアニストのイアン・スチュワート (以下スチュ) を含めた6人組のグループでした。
しかし、 「ブサイクだから」 という、あんまりと言えばあんまりな理由でもってスチュは正式メンバーから外されてしまい、ロードマネージャー兼サポート・ピアニストとしてバンドを蔭から支えていくことになります。
ロー ドマネージャーったって元々ダチなんだし、実際はメンバーとして扱われていたんじゃねえの? ……なんてことも思ったりするのですが、 映画 『ギミー・シェルター』 のアウトテイク映像なんかを見ると、機材搬入のことでミック・ジャガーからネチネチとイヤミを言われていたりして、なんか普通にロードマネージャーとして 扱われていました。

他のメンバーたちも口を揃えて 「スチュは最高のプレイヤーだった」 とか 「スチュのお陰で俺たちは基本を忘れずにいることが出来た」 とか言っているのですが、だからといってスチュをバンドから追い出した張本人の辣腕マネージャー、アンドリュー・オールダムを解雇したあとも、 「スチュを正式メンバーに戻そう」 という声が上がることはありませんでした。

しかし、スチュをメンバーに戻さなかったことによって、ニッキー・ホプキンスやビリー・プレストンといった強力なミュージシャンの参加が可能となり、結果的にバンドは音楽的にも成長・飛躍を遂げることになったわけですから複雑なものです。
ストーンズが他のピアニストたちとレコーディングやライブを行っているその陰で、黙々と機材の搬入や裏方仕事をこなし続けていたオリジナルメンバーのスチュ、その気持ちは如何ばかりか……。
セッションなんかには参加していたようですが、スチュは70年代の大半をほぼこんな感じで裏方として過ごしていました。

レッ ド・ツェッペリンの 『Rock and Roll』 へのゲスト参加が有名ですが、これも元はと言えばストーンズの録音用モービルユニットをツェッペリンのスタジオに搬入しに行った際に頼まれて弾いたもの で、ミュージシャンとしてではなく、あくまでも機材配送責任者としての仕事のついでにやったサービス残業みたいなものだったようです。

やがて、パンクの影響もあってか、バンドがタイトに生まれ変わった78年の全米ツアーから*1 スチュはストーンズのライブにピアニストとしてめでたく復帰し、82年の欧州ツアーまでファンキーでブギーなプレイを披露しまくります。
その頃のスチュの勇姿は、映画 『LET'S SPEND THE NIGHT TOGETHER』 (監督・ハル・アシュビー) で拝むことができますので、皆さんぜひぜひご覧くださいませ。

そして85年、心臓発作で倒れたスチュは、ニューアルバム 『ダーティー・ワーク』 の完成を待たぬまま、あっけなくこの世を去ってしまいました。 
享年たかだか47歳でした。

ス チュのピアノは、ニッキー・ホプキンスやビリー・プレストンのような、前面に出る派手さや華やかさはないのですが、ひたすらリズムに徹し、スウィングしま くっていてやたらと心地よく、チャーリー・ワッツ、ビル・ワイマンと共にストーンズ独特のグルーヴの土台を支えてきたのです。
まあ、そんな凄いテクニックの持ち主ではなかったとは思いますし、あれもこれも出来るような器用さも柔軟性もなかったのですが、それは他のストーンズのメンバーも同じこと、バンドのバランス的には絶妙だったのではないかと思います。
しかしミック・テイラーやブラスセクションが加わって派手さを増した70年代前半のステージに於いては、より装飾的な音が求められ、結果として一見地味なスチュのピアノは出番を失ってしまったのでしょう。

ソロ名義での活動の方も、IAN STEWART AND THE RAIL ROADERSのシングル 『STU BALL』 1曲と、ROCKET 88のプロデュースぐらいのもので、こちらの方もいたって地味。
スチュがリハーサルがてらお遊びで演奏した音源なんかも腐るほどあるのでしょうが、それがストーンズ・レーベルから発表されることもなく、気がつけばスチュがこの世を去って25年以上の月日が流れてしまいました。

そんな2011年春、
やってくれました。
なんと、スチュのトリビュート・アルバムを、ベン・ウォーターズというイキなデブが制作してくれたのです。

 

『BOOGIE 4 STU』
ブギー・4・スチュ/ベン・ウォーターズ

 なんとも心地よいアルバムです。
自然と体が動き出してしまいます。
スチュが愛してやまなかったブギウギやブルースの名曲の数々がぎっしり詰まっております。
オマケでスチュ自身の演奏も聴くことができます。
聴けばハッピーな気分になること間違いなしです。

どうせそんなに売れるわけもないし、アッという間に廃盤になってしまうことでしょうから、皆さん今のうち、1枚と言わず、一人5枚でも6枚でも買いこんで、友人、知人、お世話になったあの方へ、プレゼントしてみたらいかがでしょうか。
そこのおばさんも、食料品の買い占めなんか今すぐやめて、どうせだったらこの素敵なCDを山ほど買い占めて、親類縁者、御近所の皆さま方に配ってさしあげてくださいませ。
きっと幸せの輪が広がることでしょう。

まだまだ肌寒い日が続いておりますが、そんなときはエアコンなんか使わないで、このCDをガンガンかけながら、踊り狂ってくださいまし。
きっと身も心も暖まりますよ。

ローリング・ストーンズになれなかったのか、
ローリング・ストーンズにならなかったのか、

BOOGIE 4 STU!

ブギー・4・スチュ

ブギー・4・スチュ

 

 

*1:(※) これ、間違い。 76年の欧州ツアーも参加してましたね。 あはは……。