日々の昭和館 (3) RUN 丸ちゃん RUN

昭和館が閉館してから数年後、その跡地にオープンしたミニシアターに、ほんの短い間在籍していたことがある。
劇場はとても小綺麗な造りで、床は絨毯張り、ロビーには代官山のカフェみたいなお洒落なテーブルとイスが置かれ、入れ替え制で音響はデジタルという、昭和館とは似ても似つかぬ今風の映画館である。当然ヤクザ映 画など上映するわけもない。

未だ昭和館から抜けきれていない僕にとって、まったく場違いこの上ない劇場なのだが、それでも昭和館の跡地が駐車場やパチンコ 屋ではなく映画館になってくれたくれたことは、本当に心の底から嬉しかった。

 

劇場がオープンして一週間ほど経ったある日、似合わぬスーツに身を包みながら事務仕事をしていた僕が、ふと劇場用の防犯カメラのモニターに目をやると、そこには懐かしい人物の顔が映し出されていた。
「うわっ、丸ちゃんじゃんっ!」
この丸ちゃんという男は昭和館の名物常連客で、新宿御苑で拾い集めた大量のギンナンを持ってきて「金が無いから今日はこれで入れてくれ」と頼みこんできた り (もちろん入れてやる)、閉館の日にカリスマ受付嬢の米子ちゃんにコクってフラれたりと、数多くのレジェンドを持つ現役バリバリのお茶目なホームレスであ る。
モニターに映る丸ちゃんは辺りをキョロキョロと見回しながら、落ち着きなく劇場ロビー内を徘徊している。僕はエレベーターに飛び乗り、3階にあるロビーへと向った。
「丸ちゃん ! 」
ロビーに着いた僕が声をかけると、丸ちゃんは人懐っこい笑顔で僕に近づいてきた。
「あ・・・お、お、お兄ちゃん」
「どうしたんだよ丸ちゃん、久しぶりだな~。ちゃんと生きてたか」
「う、うん、あの・・・ここ・・・」
「ああ、昭和館、こんなんなっちゃったよ・・・」
「た、た、高倉健は ? 」
高倉健どころか、フランスのアニメとかやってるよ」
「あ・に・め ? 」
「マンガだよマンガ、毛唐のマンガ」
「ま、まんが・・・」
丸ちゃんは浦島太郎のような気分だったのではないだろうか。ようやく昭和館が再開したと思ったらそこはまったく別世界のような空間で、劇場名は横文字、かつて長靴履きだった僕はご立派なスーツ姿である。
「お、おばちゃんたちは・・・ ? 」
「・・・うん、もう誰もいないよ。俺以外は全員丸ちゃんの知らない新しい人たちなんだ」
「そ、そう・・・」
ここに来ればまた米子ちゃんやムッチーやオッカアに会えると丸ちゃんは思っていたのだろう。

そして、またかつてのような楽しい日々が再開されるのだと。

でもそんな日はもう二度と訪れない。丸ちゃんにも僕にも二度と訪れないのだ。
仕事中だった僕が腕時計にチラッと目をやると、丸ちゃんは
「じゃ、じゃあ、帰ります」
と、急に他人行儀な態度になり、エレベーターに乗り込んだ。
僕も一緒にエレベーターに乗り、丸ちゃんを一階まで見送ったのだが、なんと声をかけてよいのか分からなかった。「また来なよ」なんて社交辞令を言ったって仕方がない。ここには丸ちゃんの会いたい人もいなければ観たい映画もやっていないのだ。
結局、別れ際に、
「じゃあ元気で」
と言うのが精一杯だった。丸ちゃんは「う、うん」と力なく答え、新宿の街に消えていった。もちろん、それっきり丸ちゃんがこの劇場にやって来ることはなかった。

僕自身もその数ヵ月後、この劇場を去った。

 

それからしばらく経ったある日、僕の昭和館時代の後輩で現在は映像ライターをやっている奥田という赤貧の道産子が西新宿を歩いていると、缶コーヒーを何本もかかえながら街なかを全力疾走する丸ちゃんに出くわしたそうだ。
丸ちゃんに気付いた奥田は懐かしさのあまり声をかけようと思ったらしいのだが、丸ちゃんはそんな奥田には目もくれず、その前を猛然と駆け抜けていった。丸 ちゃんが向ったその先にはムチャクチャ貫禄のあるバアさんホームレスがドドーンとふんぞり返りながら待ち構えていて、丸ちゃんはそのバアさんめがけて一直 線に走っていった。そのとき、奥田の脳内スピーカーは物凄い勢いで「炎のランナー」のテーマ曲をリピートしまくったそうだ。
ホームレスのバアさんは丸ちゃんが買ってきた( か、パクッてきた )缶コーヒーを受け取ると、美味そうにグビグビと飲み始めた。それを見つめる丸ちゃんはとても幸せそうな表情だったそうだ。
根っからの舎弟気質である丸ちゃんは、米子ちゃんに代わる新しい女ボスを見つけたようだ。西口ホームレス社会のカーストの最下層なのかもしれないが、パシリだろうが子分だろうがそれで丸ちゃんが幸せなのだったら何も言うことはない。

 

それから何年かが過ぎた。
僕もその間たまに西新宿をブラつくことがあったのだが、残念ながら丸ちゃんと出くわすことはなかった。

でも、この街のどこかで今も元気でやっていると信じたい。
丸ちゃんは今日もきっと全速力で走っている。